-上原正稔 赤松嘉次さんのお墓参り-

 

  沖縄の新聞テレビが「世界のウチナーンチュ大会」で浮かれ、騒いでいる十月中旬、ぼくは兵庫県を訪れ、赤松嘉次さんの実弟秀一(ひでかず)さんに案内されて、加古川市の常住寺に眠る赤松嘉次さんのお墓に花束と持参した神酒を捧げた。そして静かに手を合わせ、祈った。沖縄のメディアや自分も含め多くの人々が赤松さんを極悪人と信じた罪を心から詫びた。これまでぼくにとって神や仏は遠い存在だったが、永年の肩の重荷が取れた気がした。実際、こうして祈ったことはこれまでなかったことだ。人として当たり前のことをやり遂げ、ほっとした。
 神戸市で一泊して翌日大阪に向かった。沖縄では大雨だったらしいが、ここでは快晴が続いていた。徳永信一弁護士の事務所の隣のホテルに宿泊することになり、チェックインを済ますと徳永事務所を訪ねた。そこには二人の優しそうな女性がいて、ぼくはリュックサック一杯の泡盛と神酒、そして二十年ぶりに作った名刺を差し出した。そこへ徳永さんが帰ってきた。歓談を済ませ、ホテルに戻った。夕刻、待ちに出ると世界一長いと言われるアーケード街を散歩した。どこまでもアーケードが続く。このまま行くと那覇の平和通りに出るのではないか、と思い引き返した。
 翌日、柳原由紀夫さんの車で街外れ(と言ってもどこをどう進んでいるかわからないが)の高級うどん亭で昼食を取った。”高級うどん”という概念は沖縄には存在しないが、確かに豪勢なうどん料理だった。帰りに大阪城に案内されたが、そこでド肝を抜かれる光景に出会った。百トンを越える大石がデンと城内のあちこちに居座っているのだ。柳原さんは事も無げにこの大石は小豆島から運ばれてきた、あの石は岡山から運ばれてきた、と説明する。しかし、ぼくには信じられない。一体どうやって運んだ、と言うのだ。その一枚岩の大きさはピラミッドの比ではない。ピラミッドの石の何十倍の大きさなのだ。壮大と言うべきか、愚挙と言うべきか、歴史の”重さ”が横たわっている。後で徳永さんに、あの大石はどうやって運んだのか知っているか、尋くと、彼が昔聞いたところでは、昆布を敷きつめ、ヌルヌルした道を縄や道具を使って引っ張ったそうだ。そんなことが可能かどうか確かめようもないが、この話のお陰で徳永さんは昆布を思い出し、お土産に上質の昆布をぼくに贈ってくれたのだ。うまい昆布を口にする度に、ぼくはあの大阪城の大石を思い出すのだ。
 大阪最後の夜、場末(どこが中心かわからないのでホテルからちょっと離れたという意味だ)の盛り場でパーティーが開かれた。中村正彦弁護士を含め五人の仲間が集まって歓談を続けた。そこへ登場したのが、純粋な瞳をしたうら若き美女だった。その人が上原千可子弁護士だった。彼女はウズベキスタン旅行から戻り、空港から直接、パーティー会場に駆けつけてくれたのだ。彼女を中心に話に花が咲いた。彼女は福井県に弁護士会から派遣されたそうだが、福井には事件がなく、最寄りの弁護士事務所でも五十キロも離れているそうだ。たまに事件があっても被害者と加害者が同時に依頼する、というあり得ないことが起きると言う。ありとあらゆる事件が大都会並に起きている今の沖縄では想像もつかないお伽話が福井には存在するのだ。ぼくが「沖縄から事件を送りましょうか」と言うと千可子弁護士はにっこり、「今度沖縄に行ってみたいわ」と優しく言った。パンドラの箱訴訟と呼ばれている琉球新報の言論弾圧事件もそろそろ終盤に差しかかっているので、千可子弁護士がキリリと締めてくれるかもしれない。そんな日も遠くはない。